甲州街道を歩く 4/12更新

10月30日(月)内藤新宿~調布

台風明けの青空の下、今日の出発点新宿三丁目に着いた。今回は、内藤新宿から調布まで歩く。

内藤新宿については、以下述べる。当初、江戸日本橋からの次宿は高井戸であったが、その距離は4里と長いため、人馬の継立に難渋。そこで浅草阿部川町の名主喜兵衛(喜八)等の請願により元禄十二年(1699)に宿が新設され、内藤氏下屋敷の一部を割いて宿が成立したので内藤新宿と命名された。青梅街道の追分を控え、「江戸の四口に各娼家あり、品川を第一とし、内藤新宿を第二とす」といわれ、大いに賑わった。内藤家の下屋敷跡は、現新宿御苑であり、天正十八年(1590)家康の江戸入府に際し、譜代の家臣内藤清成に事前の根回しを託した。この功により屋敷地を拝領した。後に内藤氏は信州高遠藩主となった。

新宿三丁目から新宿四丁目を右折し、JR新宿駅南口を通り、初台駅の横を通った。初台の地名の由来は、二代将軍秀忠の乳母「初台の局」の菩提寺があったこと。幡ヶ谷を通り笹塚の一里塚跡で小休止した。笹塚の由来は、塚が笹に覆われていたためだという解説があった。京王線明大前駅近くの塩硝蔵地跡を通り、上高井戸、千歳烏山、仙川三差路まで歩く。国領にて旧甲州街道に入り、調布駅まで一気に歩いた。過ぎ去った台風の影響か風がとても強い一日であった。走行距離約18km。かなり足にきた。

11月27日(月)甲州街道を歩く2(調布~日野)

朝8:24発の電車に乗り、2回目の出発地調布に向かった。西武池袋線、武蔵野線、南武線、京王線を乗り継いで、調布を出発したのは9:30。金山彦神社(鍛冶師の守護神)、太田道灌の弟の子孫が開基した源正寺、近藤勇座像がある西光寺を通り、飛田給薬師堂に向かう。飛田給の地名は古代、武蔵野の荒野を往来する旅人の飢えや病気を救う施設「非田給」がこの地にあったことに由来している。お昼には府中まで歩き、ファミレスにて食事をした後、大國魂神社に行く。大國魂神社は武蔵野国総社で武蔵野国の鎮守。将軍家より武蔵野国最大の五百石の朱印地を賜った。毎年5月3日~6日にかけて「くらやみ祭り」が行われるという。そのあと、問屋場跡、番場宿碑、本宿碑を通り、潤澤学舎跡(現国立一小の前身)を見て、日野橋まで行った。残念ながら日野渡し船場跡の確認はできなかった。多摩川を渡り、日野駅までたどり着いたのは16時をまわっていた。全走行距離14.3km、歩数でいえば3万歩を超えた。風が強くなかったためか前回よりは疲れが残らなかった。

12月18日(月)日野から小仏まで

今日の行程は、日野→八王子→高尾→駒木野→小仏の計16km。小仏からはバスでJR高尾駅まで戻る。

日野から高尾までは国道20号と旧道甲州街道を交互に歩く。高尾からは、勾配が低い上り坂。目的地に近づくにつれて特にふくらはぎが張ってきた。来月は寒い中の小仏峠越えである。心して臨みたい。

2月19日(月)与瀬~上野原

前回は雪のため小仏峠を越える行程は延期した。今回は雪が残っていることを想定して小仏峠をスキップして与瀬から上野原になった。朝9時10分に東久留米駅を出発し、出発地点である相模湖駅に向かう。西国分寺に着いてから大月行に乗れるのが嬉しい。中央線は高尾までだと思っていた私は非常に感激した。相模湖駅に着いて電車から降りると少しひんやりした。駅前にある観光案内に行き、今日の行程の地図を求めたが、ここは神奈川県なので山梨県の方の地図はおいていませんと言われ、がっかりした。少しは予算がかかると思うがそのくらいのサービスがあってもいいと思った。早速相模湖交差点から甲州街道を歩き始めた。坂本本陣跡から慈眼寺に行った。階段がきつかったが、中央高速道の陸橋から見る相模湖は格別だった。慈眼寺の先に与瀬神社があったが、またもや階段。これからの体力を温存するために行くのは断念した。可能な限り旧甲州街道を歩くことを試みたが、高速道のガード下をくぐるところで分からなくなり、新道20号を途中何度も歩いた。石仏石塔群の先を大きく曲がったところで時間は12時。早めのお昼をいただくことにした。お弁当は、東久留米駅前のコンビニで購入したカツサンドに卵サンド、それにトマトジュース。そのあと高札場跡を大きく曲がり、吉野本陣跡、吉野神社に行く。藤野中学校横を通り、藤野駅近くに着いた頃だいぶ足にきていると感じた。かなりの高低差があるためだ。藤野駅は相模湖駅の次の駅である。上野原駅はまだまだ先だ。

3月19日(月)小仏峠越

高尾駅に着いたら、バス停は長蛇の列だった。梅の花を観るグループが多かったためである。バスに乗れるかどうか不安だったが、バスは2台出してくれた。今日の出発地の小仏バス停に着いた時には、私たちのグループだけになった。小仏峠までは5kmもないが、九十九折り(つづらおり)の急坂が続き、途中枯れ木を拾い、杖にした。これが非常に有効で、上り坂も半分くらいの力で登ることができた。小仏峠は、標高548m。行基が峠に一寺を建て、一寸八分の小さな仏像を安置したことが地名の由来になっている。また小仏峠は、東京都と神奈川県の境になっており、明治天皇の御小休所跡があるが、天皇はどのようにこの地まで足を運んだのだろうか?まさか歩いてきたとは思えないが。峠で昼食をとったが、風が冷たく、じっとしていると寒さが骨身に沁みた。下りは、急坂ではないがかなり膝に来た。美女谷温泉の横を通り、小原宿まで駆け下りた。相模湖駅まで2kmだがとても長く感じた。駅に着くと歩いた距離以上に疲れが残った。

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