スポーツ界が揺れている

今、スポーツ界が揺れている。体罰、セクハラ、パワハラなどは、昔からある「上意下達(じょういかだつ)」がまかり通る日本の体質に問題があるという。

苅谷剛彦氏は東洋経済の「経済を見る眼」の中で次のように述べている。

明治以来の日本は「和魂洋才(わこんようさい)」をモットーに西洋化を近代化とみなし近代化を進めた。それから150年。「旧態依然」には、単なる古さではなく、日本に特有な何か、「和魂」が一貫しているように見える。ここいう和魂は、海外からの制度や技術の導入に際し、それを動かすときのミクロな場面での人間関係をつかさどるルールのようなものだ。出る杭は打たれる。異論は手控える。予定調和を互いに「主体的に」尊重する関係のルールである。人権尊重や個人の自立といった「近代」の原理原則は建前として導入されても、それを運用する場面では本音の人間関係が顔をだす。……明治維新から150年経っても「近代国家(社会)のあるまじきこと」がまかり通る。そのあるまじきことを織り込みながら今の日本ができた。それに正対し、内部の視点から変えようとしない限り、本当に必要な原理原則をわがものにすることはできない。

今まで作り上げられてきたものを一度は疑い、検証することこそスポーツに限らず全ての分野に必要ではないか。慣習を打破するためには、数学的な数字によるデーターを重視しなければならないと私も常日頃思っている。

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