甲州街道を歩く 石和温泉から塩崎

11月5日月曜日、6時50分に東久留米駅に集合し、今回の出発地である石和温泉駅に向かった。西武池袋線、武蔵野線、中央線を乗り継ぎ、石和温泉駅に着いたのは9時39分だった。甲斐大和駅から石和温泉まで前回は歩いたが、電車に乗ると数駅ある。鉄道路線はかなり大回りしていることがわかる。今日はJR甲府駅の2つ先の塩崎駅までを歩く。

まずは、石和温泉駅から甲州街道まで戻る。その行程約1.5km。出発地点の石和温泉は、昭和36年(1961年)葡萄畑の中に突如「温泉」が湧き出した以後温泉地として発展した街である。以前は遊楽施設等たくさんあったが、今は全盛期に比べ衰退している。途中平等橋を通過した。平等川の謂れは、京都宇治川に匹敵するくらい蛍が見事だったところから平等院にちなみ平等川となったことによる。更に歩き、青梅街道追分まできた。ここは、内藤新宿で甲州道中から分かれ、再び甲州道中に合流する地点である。そこには摩利支天尊堂があり、昔、此のあたりに疫病がはやった時に力丞なる者が21日間の祈祷を行い、疫病が納まったことからここに堂を建て、江戸深川から本尊を貰い受けたという。酒折駅前を通り、JR身延線金手駅手前を左折し、印傳屋に立ち寄り甲府駅入り口まで歩いた。お昼はほうとうを食すことになっていたので、甲府駅前まで歩き、小作に立ち寄った。皆で「かぼちゃほうとう」を食し、甲州街道に戻った。お店によると要する時間も半端ではなく、目的地まで急いで歩くことにした。文殊神社の境内には、芭蕉句碑「物言えば唇寒し秋の風」と「素堂治水碑」があった。甲府の地名は、甲斐の国の府中であったところを由来している。貢川地区を歩き、竜王駅南に着いたのは15時過ぎである。女性群はここまでとし、竜王駅から戻るという。私たちは、当初の目的地塩崎駅まで歩くことにした。しかしこの後が大変だった。上り坂が続き、疲労がかなり脚にきた。赤坂台病院あたりから下り坂になり、情緒ある下今井の町並みを通り、塩崎駅に着いたのは16時をまわっていた。塩崎駅から甲府駅までは各駅停車、甲府から特急あずさで帰る予定であったが、特急料金930円払うのだったら、各駅電車に乗り飲みながら帰ろうということになり、16時47分の立川行きに乗った。各駅停車での飲酒は高校生たちに軽蔑(羨望)の目で見られ、少々つらかったが、味は格別なものである。次回は、塩崎駅から韮崎駅を通り、日野春駅まで歩く予定である。今回のようなお店に入って昼食は時間がかかるのでやめようということになった。

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