甲州街道を歩く 日野春→富士見

東久留米駅8時31分の電車に乗り、今回の起点日野春駅に向かう。16日からダイヤ改正があり、今回乗る「特急あずさ」は全席指定となり、自由席がなくなった。西武新宿線、武蔵野線、中央線を乗り継いで立川発のあずさ1号は新車両であった。座席の前の緑ランプは席が埋まっており、黄色ランプは次の駅で予約客が乗ってくる。赤ランプは未だに指定客がいないということを表す。私は、2号車の窓側に乗った。隣の席は黄色のランプがついていたが、中国人が座った。次の駅八王子に着くと女性客が来て中国人の代わりに座った。女性客は、八王子から指定券を購入したのだ。登山の格好をしていた。どうも北アルプスに登る客らしい。あずさが甲府駅に着いたのは8時53分、鈍行は9時19分発なので駅構内でトイレ休憩した。

日野春駅に着いたのはその20分後だった。晴天に恵まれて、富士山、甲斐駒ヶ岳が美しい。気温は7度程低く、肌寒かった。日野春駅から甲州街道「牧之原」まではタクシーで移動した。いよいよ甲州街道を歩く。今日は日程の都合で最長の距離を歩くことになる。目標は富士見駅だ。歩く距離は20kmを大きく超える。今回の参加者は、男性5名。できるだけ休憩は取らずに行くことにした。甲州街道牧之原から見る甲斐駒ヶ岳は素晴らしい。牧之原を流れている大武川は甲斐駒ヶ岳に源を発し、流末は釜無川に落ち合う。舞鶴松、上三吹と歩き、甲州街道古道入口にある尾白川も釜無川に落ち合う。

台ケ原には、七賢蔵元がある。七賢の山梨銘醸(北原家)は寛延二年(1749年)の創業。幕末には高遠藩の御用商人を勤め、天保六年(1853年)居宅新築の際藩主より「竹林の七賢人」の欄間を頂戴する。以来銘酒を「七賢」と称した。当家は明治天皇巡幸の際、行在所となった。七賢蔵元の対面にある金精軒は元祖信玄餅の老舗である。

お茶壷道中…徳川三代将軍家光の時、寛永十年(1633)から毎年四月中旬、京都の宇治に採茶使を派遣し、将軍家ご用達の新茶を茶壷に納封し、江戸城に運んだ慣例行事。行列の往路は東海道であったが、復路は中山道を経て甲州道中を通行した。この茶壷行列は権威が高く、御三家の大名行列も道を譲らねば程格式の高いものだった。庶民は、「ずいずいずっころばし ごまみそずい 茶壷に追われて とっぴんしゃん」であった。

御茶壺道中は、田中神社の拝殿に宿泊した。

しばらく歩くと、「教来石」という地名がある。「教来石」は元は「経来石」である。流川の近くにある「経来石」は、土手を上った畑の中にある。大石の上に馬頭観音4基、男女双体道祖神1基が祀られている。村人はこの大石を「日本武尊が酒折を経て来て休んだ石」であることから、経来石と呼び、後に「経」の字が「教」と誤記され、教来石となり、これが地名となった。この街道沿いには山口素堂生誕の地がある。有名な「目に青葉山ほととぎす初かつお」の句碑が新国界橋近くのコンビニ跡地にあると聞いて探してみたが見つからなかった。

今日は富士見まで一気に歩くため、本陣大阪屋源右衛門跡、汀川生家跡、瀬澤大橋を一気に歩く抜き、富士見駅に到着した。

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