甲州街道を歩く 富士見→下諏訪

4月15日(月)6時50分東久留米駅改札に集合し、富士見駅に向かった。秋津までは西武線、途中武蔵野線を乗り継いで、中央線立川駅に着いたのは7時30分過ぎだった。朝食を摂っていなかったため、駅そばを食す。私は学生のころから駅そばが大好きだ。この日は春菊の天ぷらそばだった。味は蕎麦屋に比べるとかなり落ちるが、それでも私は大満足だ。あずさは全席指定になった。指定券を買うのがばらばらだったため、皆別の車両、座席に乗る。乗客にとっては大変迷惑な全席指定システムである。

富士見駅には予定通り9時42分に着いた。ホームに降りると、少し肌寒かった。先ずは、原の茶屋まで歩く。その後、伊藤左千夫、斎藤茂吉らが訪れたという旅館桔梗屋跡を通り、宮川を渡る。遠目にスズランの里駅を見て、御射山神戸の一里塚で休憩を取り、金沢地区に向かう。

金沢宿:甲州道中の開設に伴い「権現の森」の西あたりに青柳宿が新設された。しかし、度重なる宮川の氾濫や慶安三年の大火に見舞われ、翌四年高所の現在地に移転し、「金沢宿」と改称された。

高遠、飯田両藩の参勤道(よくわからなかった)の分岐点を通り、宮川板室を通り、茅野駅に向かった。

茅野村:千野村は「間の宿」であった。延宝六年(1678年)以降は「茅野」と改称された。

茅野駅から上諏訪駅までは電車に乗った。

上諏訪駅に着き、構内にある足湯に浸かった。足の疲れが取れ、とても軽くなった。宿泊する成田屋は駅から5分の場所にある。部屋に荷物を置いた後、高島城に行って花見をすることにした。高島城はホテルから歩いて5分の所にあった。城内はかなり整備されていたが、目的の桜は満開には程遠かった。

その日の夕食はホテル近くの飲み屋ですまし、明日のウオーキングに備えた。

16日は茅野から中山道との合流地点(下諏訪)までを歩く予定である。総走行距離11.7kmは比較的楽な距離である。ホテルから上諏訪駅に行き、茅野駅まで電車に乗り、昨日の続きを歩く。茅野駅を降りた後、先ずは諏訪大社上社大鳥居を見てから歩くことにしたが、なかなか大鳥居が見つからなくて時間をとった。茅野駅の裏側のビルの後ろにあったので見えなかったのだ。

上原八幡宮は諏訪守重が鎌倉鶴岡八幡宮を歓請したものであり、高島藩主諏訪家の崇敬が篤く、参勤再の際道中安全を祈願したところである。甲州街道渋沢小路までは中央東線を右に見ての走行だが、それ以降は、大きく右折し、山の中腹を歩く。線路を左に見下ろしながらの走行だ。神戸の一里塚跡を通り、霧ヶ峰入口、秋葉山石塔、清水1,2丁目信号の先の銘酒真澄に着いたのは10時を少しまわっていた。休憩、真澄の試飲、買い物をしたあと貞松院の枝垂れ桜を鑑賞した後合流地点めざし歩いた。湯の脇からは更に山の上に道は続く。諏訪湖が美しく、途中の棚田も素晴らしかった。日本最古の神社の一つである諏訪大社下社秋宮に着いたのはお昼を少し回っていた。甲州道中中山道合流之地碑は秋宮のすぐ近くにあった。内藤新宿から約1年半かかった。感慨深いものである。近くの蕎麦屋で昼食をとり、秋宮を参拝し、御柱の柱も鑑賞し、下諏訪駅に向かった。予定より1時間早い電車に乗ることができた。上諏訪駅であずさ20号に乗り換え、立川に向かった。東久留米に着いたのは17時前だった。駅前のレストランで打ち上げを行い、早めの帰宅となった。

来月は、締めの日本橋~内藤新宿。甲州街道を歩くイベントもこれが最後になる。

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