甲州街道を歩く 日本橋から内藤新宿 最終

平成29年10月3日から始めた「甲州街道を歩く」も今日ですべて終了した。私は、16回すべてに参加し、合計222.1kmを走破した。1年半にも及ぶ活動だったが、やり遂げたという達成感がある。歩数には、毎回26000歩程度だったので、約416000歩歩いたことになる。

内藤新宿→調布→日野→高尾→相模湖→小仏峠→鳥沢→初狩→新田→甲斐大和→石和温泉→塩沢→日野春→富士見→茅野→下諏訪(終点) 日本橋(始点)→内藤新宿 ※富士見から下諏訪までは、途中の上諏訪にて一泊した。

東久留米を9時に出て、日本橋に着いたのは約1時間後だった。日本橋にて日本国道路元標を確認し、日本橋交差点を右折し、呉服橋跡を左折し、東京駅日本橋口に入る。東京駅一番街を抜け、丸の内北口に出る。大名小路を通り、和田倉門を通り、日比谷の交差点を右折する。1860年に安政の大獄を行った井伊直弼が水戸浪士等に暗殺された桜門外の変で有名な桜田門を通った頃にはお昼を回ったので憲政会館のレストランに入り、ランチを摂った。ランチの後国会前交差点に戻り、半蔵門に向かう。半蔵門に着くと、カメラマンや観光客がごった返していた。どうやら天皇陛下が皇居から外出するらしい。しばらくすると白バイを先頭に天皇陛下を乗せた車が目の前を通った。皆と同様に手を振ったら、笑顔で手を振り返してくれた。天皇陛下を間近で見るのは今回が初めてであった。麹町を経て四谷見附で有名なたい焼きを買い、水道碑記・玉川上水水番所跡をみた。青梅街道追分の新宿三丁目に着いたのは15時前だった。今回の走行距離は8.7km、比較的楽な行程であった。新宿三丁目の交差点前に解散し、新宿、東久留米で打ち上げをして自宅に戻った。

家康が重視した甲州街道…慶長5年(1600年)関ケ原の合戦で勝利した徳川家康は天下人になった。家康は、天下掌握の根幹は「通信網」と「物流」の確保と考え、主要五街道(東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、日光街道)(注)この時の街道は海道 を道中奉行の管轄下に置き、順次街道の整備に取り掛かった。中でも生命線と考えていたのは甲州街道であった。江戸城に危難が迫った際、服部半蔵の手引きで、江戸城半蔵門から甲州街道に入り、内藤新宿で「百人組鉄砲隊」、八王子で「千人同心」を従えて甲府城に入り、富士川の舟運で一気に駿府に抜ける主要道としたからだ。従って当初は甲府までの道筋が整備され、後に下諏訪まで延長され、下諏訪宿を含めて四十四か所の宿駅(宿場)設置した。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする